クライシス イズ カミング!

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子どもの頃に恋のチカラというドラマを見て憧れた広告業界へ就職。幾度かの転職を経て、わたしは夢の世界のど真ん中にいる会社に第二新卒として入社することができました。

途中、職場の人間関係に悩みながらも、そこで行った仕事はまさに華やかで、気づくと3年以上の月日が流れていました。

CMも作ったし芸能人にも会えました。撮影現場にも行きました。コピーライターとブレスト会議をしたりと、子どもの頃に憧れていた仕事は一通りできました。

大変な作業ばかりだけど、そこにはそれ以上のやりがいがあります。

しかし、充実はしていたのですが、絶えずどこか無理をしていました。それは労働時間であったり、気疲れであったり…。周りの人たちが優秀すぎて自分がバカに感じられるのもストレスの一つでした笑。

そこにいる女性たちはみんな賢く、そして強いのです!

言っていることはもちろん正論なのですが、とっても怖い!すなわち周りに流されない力、問題解決力があるということなのかなとは思いますが、結婚もせず、鬼の形相で皆たくましく働いています。

そんな周りの人を見て、将来自分がこうなりたいのかと思うと、はて…と思う時があったのは秘密の話です。

それでもわたしはこの会社にいるんだ!という誇りがわたしを奮い立たせていました。両親も喜んでくれたし、周りからはエリートだ!と言われていました。

それを自分でも満更でもなく思っていたのです。給料もボーナスだけで7桁もらえるような待遇のいい会社でした。

しかし、ある時クライシスは起きます。

目次

テニスおじさん到来

ことの発端はチームリーダーがチェンジしたことです。

前のチームリーダーはNiziUのマコちゃんにそっくりのキレッキレの女性でした。怒ると誰よりも怖いのですが、物事を見抜く力に長けていて、いざという時に頼れる姉御タイプのリーダーでした。

一方、代わりにやってきたのは、テニスが大好きなThe広告業界の人という感じの黒光りした陽気なおじさんです笑。

「俺はね〜、若い時は合コンしに日帰りで関西まで行ってたからね!」というのが彼の鉄板ネタで、色々な武勇伝を教えてくれました。

わたしは平々凡々なキャラクターなので、新しくやってきたテニスおじさんからすると話しやすかったのでしょう。次第におじさんから案件を振られ、よく一緒に仕事をするようになりました。

着手したのはわたしがまだ経験がなかったWEB案件でした。

「テニスおじさん、わたしはまだWEB領域の経験がなく、知見が浅いのですが、精一杯頑張ります。よろしくお願いします!」

「なーにおせりさん、俺がいるから大丈夫だヨ!」と軽い感じです。

打ち合わせの日、クライアントとの打ち合わせでテニスおじさんはその言葉通り、何より心強い存在でした。

資料はすべて自分が用意しましたが、それをテニスおじさんは練習もせずに一発勝負でとてもうまいこと説明してくれました。さすがベテランです。

そして、クライアントからの答えられないような質問にものらりくらりと返し、「全て我々にお任せください!」と力強くアピール!

クライアントからもテニスおじさんに信頼の眼差しが注がれました。

その帰り道。「テニスおじさん、やっぱりさすがです!説明の仕方など色々勉強になりました!」

「たはは!もう大丈夫そうだね!これ多分決まったから、あとよろしくぅ!」

えーと、ん?テニスおじさんは急にハシゴを外してきました…。

コロナの到来

方や時代はコロナ到来期。

今となってはマスクをしている人なんて見かけませんが、有名人がバタバタと亡くなっていき、当時はコロナがまだまだ未知なる脅威の時でした。

そんな中、父がいきなりコロナになりました。もちろん横浜で一番の先取りコロナです。外に出歩くタイプでもないのに一体なぜ彼が…。

テニスおじさんからの度重なる無茶振りで、目まぐるしく忙しい時期でしたが、家族の一大事です。

コロナに感染したらどうすればよいのだろう…。力になりたい一心で、空いているちょっとの時間でたくさん調べ、電話でも励ましたりして積極的に父と会話するようにしました。

「まずはパルスオキシメーターを買って、酸素濃度を測ってちょうだい!」

こういう時、自分は意外と冷静になれるタイプです。

かかったのはデルタ株という、当時最恐と言われた強めのやつです。気づいたら父は重症化し、あっという間にICUに入ってしまいました。

もしかしたら父は死ぬのかもしれない。。とぼんやりと思ってしまいましたが、彼はクレイジーパワーでなんとか回復(結構奇跡!)。

ただ、糖尿病なども患っていたので、危険であることに違いはありませんでした。

これは後から聞いた話なのですが、精神病を抱えている父はコロナに感染してしまったことにより、メンタルが大荒れになり、当時周りのあらゆる人に散々当たり散らしていたようです。

広告会社は忙しい!

一方でテニスおじさんとのコンビは続きます。テニスおじさんは話がうまいのでポンポンと受注が入ります。だからリーダーをしているのでしょう。

「よし!これ、やっといて!」が増えてきます。やるけどさぁ〜泣。

雑な振りかつ初めてチャレンジする領域ということで、わたしの作業時間は増えていきました。

「これ、いついつまでに確認してくださいね。」

「はーい!」返事は良いクライアント。しかし、何度連絡しても戻してくれません。

それとなく何度も確認していたのですが、しまいには「あのね、こっちは2人体制でやってるの!もうちょっと待ってもらえない!?」とキレ口調で言われてしまいました。

「はぁ…。でもいついつまでに戻してもらえないと納期遅れますからね…!」

こりゃ大変だな。

そしてかなり遅れたタイミングで待ちに待ったデザインのお戻しをもらえました。

「ここってこういう風に変えられないかな?こっちの方がかっこいいと思うんだよね!」

かなり難しそうなお戻しです…。

「なるほど、、厳しそうではありますが、一度確認させていただきますね。」

制作会社の人に聞きました。「あの、ここってこういうふうに調整可能ですか?」

「それはちょっと難しいです…困。変えられたとしてもパソコンのデバイスごとに表示も変わりますし、追加費もかなりかかります。全体がうまく表示されなくなってしまうリスクもありますし、イレギュラーな対応になるので、やるべきではないと思います…」

「ですよねー。。(制作会社が言っていることが正論だ…)」

ここで強く道を切り開けたら一人前のプロデューサーだったのですが、当時のわたしは力量不足で、うまく立ち回ることができませんでした。

こういう時はエスカレーションだ!テニスおじさんに状況を伝えました。のですが、返ってきたのは「大丈ー夫、おせりちゃんならなんとかできる!」という一言でした。。

おせりさんは絶望しました。

ここで軽くテニスおじさんのことをフォローすると、彼もまた彼で尋常じゃないほどの案件を抱えていて、全ての案件を見切れる状態ではありませんでした。

そう、広告会社は全体的に忙殺されているのです!

クライアントにどうにか納得してもらえるよう、「納期もありますし、こちらの案はあまり現実的でないかと…。代わりにこうしてみませんか?」と丁寧に説明しながら説得・提案します。

しかし、全然話を聞いてもらえません。

正直、「こんな無茶な戻しをするならせめてもっと早く確認してよ…」と言いたくなりました。しかし相手はお客さんなので言えません。

なんとか折衷案を出そうと制作会社にも掛け合い、クライアントにも伝え、何度か攻防戦を続けました。もちろんテニスおじさんにも状況は逐一伝えていたのですが…。

納期まで時間がないのに、強めの「やれ」と強めの「やれない」がせめぎあい、何を提案しても誰も一歩も動かず、タスクはまるで進みません。

お互いに意地になってしまったように思えました。

そして、最終的にクライアントに言われてしまいます。

「あの、こっちの希望は何度も伝えてますよね。下請け会社のNoをYesに変えるのが代理店の仕事なんじゃないですか?」

ずしんと言葉がのしかかりました。

ああ、わたしがやっている仕事はそういうことなのか。広告の業務を代理で行うから広告代理店。まぁそういうことです。

なんか疲れたなあ。忙しいし、神経もすり減ります。

嫌な予感

帰り道。乗り換えで地下鉄のホームを歩いていたら父から電話がかかってきました。

「もしもし。」

「あのさ、今日はママと話したんだけど…」

会話が長くなりそうな雰囲気です。父のメンタルの不安定さが声から伝わってきました。正直疲れているし、ここは早めに切り上げたいところです。

「ごめん、今ホームで電車待っているところで、あと2分くらいだったら大丈夫なんだけど、どうしたのかな?」

「あっ、じゃあ大丈夫。また…」

つい仕事モードでハキハキとした口調になってしまいました。本当はこういう時はゆっくりと相手の話を聞いてあげることが大切です。しかし、その時のわたしにそこまでの余裕はありませんでした。

サラリーマンは、つらい!

翌日。段々とスケジュールがやばいという空気感になり、3社間による打ち合わせが行われました。

詳細は忘れてしまいましたが、打ち合わせの際はいつもの通り、テニスおじさんがフロントに立ちました。

そして何だかんだでスケジュールが遅れているのはわたしの段取りが悪いせいということで落ち着きました。

決して伝書鳩をしているつもりはありませんでしたが、結果としてはそういうことになりました。わたしが悪いのか。。なんだか泣きたい気持ちでした。

おせり大爆発!

夕方頃、ちょうど家に帰宅したタイミングで父からまた電話がかかってきました。

「もしもし」

開口一番大声で怒鳴られました。

「オメーよー!!昨日の話し方はどういうつもりだよぉー!!」(文章だと凄みが伝わならいのがもどかしい)

!?!????

「え、わたし何か悪いことした??」

記憶が朧げですが、「しらばっくれんじゃねーよ!てめー仕事でもあんな口調なのかよ!ざけんじゃねーよ、なめやがってよー!」みたいなことを言われました。

最大限頑張り続けてきた仕事に関して、それを全く知らない人に責められるなんて。プツンと堪忍袋の緒が切れる音が聞こえました。

わたしはついにキレてしまい、人生で最大級に感情が大爆発しました。父に負けない大きな声で叫びます。

「わたし、何か悪いことしたー!!!!!?」

「わたしが何をしたっていうんだよ!!電話がかかってきたから電話をとっただけじゃないか!!そりゃこっちのタイミングが悪い時だってあるよ!!わたしそんなに怒鳴られるほど悪いこと何かした????おかしくない?あなただって大変なことはあるかもしれないけど、こっちだって自分の生活でいっぱいっぱいなんだよ!!それを言わずに必死で頑張っているのにあんまりだ!お父さんなら弱い人の気持ちがわかると思ったのに残念だ!!」

父はもとより興奮状態です。

「なんだその口の聞き方は!てめーとはもう二度と会わねぇからな!!」

※ちなみに「二度と会わなねぇからな」というのはおせり家では頻出単語なので言われてもあまり響きません。

「前からそういうけどさ、二度と会わないと思っているのはこっちの方だから!!!」

そう大声で怒鳴って電話を切りました。

わたしは大粒の涙をこぼしました。まぁ感情は我慢せずそのまま出すタイプです。

その後何度も電話がかかってきましたが、わたしが電話に出ることはありませんでした。電話だし、遠いところにいて安全だったので、こちらも怒れたというのもあります。

「スケジュールが遅れたのはわたしのせい」

「修正に対応できないのもわたしのせい」

「電話で話をじっくりと聞いてあげられなかったのもわたしのせい」

わたしは真面目に向き合っているつもりなのに、皆どうしてよってたかって自分を責めるのか。

もはや四面楚歌です。いろんな人がわたしを非難している声が脳内でループされました。視界が、ぐにゃりと歪み呼吸もうまく吸いにくくなりました。

どう考えても理不尽で不条理です。ネガティブ思考というわけではなく、あらゆるマイナスな出来事が一度に起きたという感じで、とにかくつらく悲しかったです。

逃げろー!!

心の救いになってくれたのは、近所に住む友達です。一連の流れをのんべんだらりと酒を飲んで話を聞いてくれました。

そこにピロン!とLINEの通知が。母からでした。「おせり、今どこにいるの?今からそっち行くから!!」とのこと。

勘弁してくれよ。断りました。

ちなみに、おせり父は精神病を抱えていますが、おせりは理不尽なことが大嫌いな頑固者。なので、いくら病んでるダディ相手でもおかしいと思ったら絶対に引き下がりません。

思春期の頃に残酷なやり方で両親に泡を吹かせたことがあるので「この子はキレたら何をしでかすかわからない…」という恐怖心があるのだと思います。

その時のわたしの意志は固く、その後2年間ほどは父とは話すことも会うこともありませんでした。

そして会社も辞めました。もう「くそくらえ」だ!

もうすべてが嫌になってしまったのです。仕事は好きで、ずっとプライドを持って案件は毎度きっちりとやり遂げていましたが、初めて仕事から逃げ出しました。

無理し続けてまで理想を手に入れる必要なんてない。成長なんてしなくていい。嫌だったらやめればいい。

鼻が高かった会社も、したかった親孝行もくそくらえだ!

わたしは自分の危険信号を鳴り止ませることを一番に優先したのです。

その後

最悪の気持ちになって、とりあえず逃げようと会社を辞めて、じゃあそのあとどうしよっかなーとなった時に思ったのが「映画を作りたい」です。

映画を撮りたいとはずっと思っていたのですが、中々忙しくて撮ることができませんでした。

人生一回しかないし、時間がある時に好きなことしよ!

そこからおせりは半年間、映画学校の生徒になったのです!

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