ルッキズムとわたし

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最近、婚活を始めようと思いオンラインの結婚相談所に入会した。

婚活はプロフィール一覧から希望する条件の人を検索し、マッチングしたらデートをするという王道の流れで進めている。

検索画面上にはいろんな「結婚をしたい男性」がいる。

ぽっちゃりとした人。ひょろひょろとした人、モテなさそうな人、爽やかそうな人など。そして、住まいや年収、年齢などプロフィールも千差万別だ。

検索にあたり、まずは自分の希望の条件を入力するわけだが、ここで一つ考えた。自分はどんな人を求めているのだろうか。

特に年収にこだわっているわけではない。年齢はできれば年上か同世代が良いかなぁ。自分よりも身長が高い人がいいな。こんな感じで検索をしてみた。

すると、ずらっと相手のプロフィール一覧が出てきた。ざっと目を通していくわけだが、ほとんどがあんまりぴんとこない。しかし、20ページほどの中には数人いいねと思う人がいたので、いいねを押してみた。

いいねと思った人といいねと思わなかった人の違いは正直「顔」だ。お恥ずかしながらわたしは面食いなのだ。

で、自分はどうなのかというと、、普通だ・・!完全に自分のことを棚にあげている。これじゃあダメだ。

でもこのプロフィール一覧では相手の内面はわかりにくい。

顔やスペックの部分以外だったら何を基準に選べば良いのだろうか。だって文章だったらいくらでも綺麗事を言えるじゃない。そう思った。

目次

自分の話

わたしは地味でモテない中高時代を過ごした。美形な従兄弟たちに囲まれ、自分だけが可愛くないことにコンプレックスを感じながら成長。

しかし、大学に入って化粧をしたり髪を染めたりするようになり、見た目がガラリと変わった。いわゆる大学デビューというやつだ。

薄い顔立ちだけど骨格は悪くないタイプなので、濃いメイクをしても自然に見え、アイプチをしたら別人のように化けた。

すると、驚いたことに周りの人の反応がころりと変わった。生まれて初めて男性に誘われたり、褒められたり、ナンパされたりして世界が優しくなったように感じたのだ。

その時に可愛い人間の方が人生得なのだということを知った。それから18歳のわたしは自分を着飾ることに夢中になったのである。

着飾る大学生を超えて

ゴテゴテに着飾る大学生がそのまま社会人になり、その向上心は見た目だけでなく仕事にも同様に向かった。

キレイでいたいし仕事も頑張りたい。彼氏もかっこいい人がいいし仕事も頑張る人でいてほしい!

そんなギラギラとした20代前半であったが、理想を追いかけ自分も頑張ることにしんどくなってきた20代後半。

30代になると無理するのはやめよ、、と無理に背伸びすることをやめ、同時に相手にスペックを求めなくこともなくなった。

そして、コロナでリモートワークが浸透したタイミングですっぴんが基本の生活になった。著しい女子力の低下に加え、年もとりチヤホヤされることなんて今や皆無のおばさんだ。

ルッキズムは悪いのか?

そういうわけで、今の自分は以前よりもスペックの部分で人を選ぶことはなくなったわけだが、なんだかんだで人のことを顔で選んでしまっている自分がいる。

ルッキズムは非難されがちな世の中だけど、正直かっこいい人に惹かれるし、着飾った方が周りの反応がいい世の中だ。それに、キレイな色や物理的に整っているものには魅力があるとも純粋に感じる。

例えば犯罪者は犯罪者みたいな見た目をしているし、セレブはセレブっぽい見た目をしている。日常の性格や生活が顔つきや体型に出るということは大いにあるのだ。

外国に行った時に危険な人、安全な人を見分ける力にもつながるだろう。

だから、見た目を完全に否定することはできないよな、とも思う。

婚活とルッキズム

いけしゃあしゃあと好きに語ってしまったが、婚活においては自分も同様に選ばれる立場にあるということを忘れてはいけない。

選び選ばれる中々シビアな世界だ。

正直がんばれば前みたいに華やかにすることはできるけど、本当の自分ではない。自分を偽っているという気がする。しかし、着飾るのと着飾らないのとでは周りの反応が歴然と違う。

これは不思議な感覚だ。もちろんある程度の身だしなみを整える必要があるのはわかっている。でももう大衆に迎合することなく好きに生きたい。

こんな感じで、わたしは未だなお迷走を続けている。果たしてわたしは結婚できるのだろうか。

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