なぜでしょうか。最近人が人を殴ったりするような暴力的な動画がバズっていたり、著名人が自ら命を絶ってしまったりと、痛ましいニュースが目立ちます。
繁華街にいる若者たちの民度は下がり、親が子を殺めるような残忍な事件も増えた印象で社会が全体的にざわついているように思います。
ちょっと前まではこんなことなかったのに、世の中は一体どうなってしまったんでしょうか。SNSやニュース番組でこういった情報が入ってくるたびに、なんだか不安な気持ちになってしまいます。
メルヘンなやつだと思われてしまうかもしれないけど、わたしはかわいい動物やお花の投稿が好きです。丁寧に作ったお料理などもみていて気持ちがいいと感じます。ショッキングな出来事は目を引くけれど、ほっこりするトピックがもっと世の中に広まってほしいです。
言葉の力は偉大
わたしは5ヶ月前にブログを始めるまで、ろくに文章を書いたことがありませんでした。ブログを始めるにあたり、今まで見る専門だったTwitterも初めて本腰を入れて運用することに。
日々文字を連ねていくにあたり、気がついたことは「言葉の力は偉大である。」ということです。
初めの数ヶ月は、見様見真似でブログを作ったはいいものの、これが正解なのかまったくわからない。暗中模索の状態です。PVは少しずつ増えていったけれど、反応もありません。
最初はそういうものだと思い、自信がないまま脳死状態で記事を書き続けました。
そんなある日「あなたのブログ、好きです。」とTwitterでコメントをいただくことができました。今まで暖簾に腕押しの状態で書いてきた内容がようやく誰かに届いたと感じ、天にも昇る心地で本当にうれしかったです。
おかげさまで今ではブログ活動を通して多くの方と交流することができ、まだまだ半人前ではありますが、確実にこの数ヶ月で見える世界が広がりました。今はブログの感想をいただけることが何よりの励みになっていて、いい出会いに感謝するほかありません。
一方で、1,2度ではありますが、否定的な意見をもらった事もあります。
ある時、自分のブログの方向性に迷っている旨を投稿すると、先輩ブロガーさんから「あなたのブログにはゴールが無い。おそらく全記事書き直しになると思うよ。」と言われてしまいました。
ゴールがない。確かになぁ。。曲がりなりにも一生懸命作っていたので、これはショックでした。今まで友好的なコメントしかいただいたことがなったので、心臓がドッキリしてしまいました。
ちなみにこういう時、わたしは相手にとりわけ丁寧に優しくする戦法を使います。本当は落ち込んでいましたが、変に怒ったり悲しんだりする素振りはしません。
素直に受け入れ、コメントをくれたことにお礼を伝えると、相手の方も「自分も失敗して遠回りをしてきたから、失礼を承知でコメントしました。」とのこと。敵意を見せずに反応したら、相手も真摯に対応してくれました。
その言葉が愛の鞭(厳しめの
)だったということを知り、少しだけ安堵した出来事でした。そういうわけで、言葉は武器にも薬にもなると知ったのです。
世の中が優しくなりますように
自分は些細なやりとりでも動揺してしまいましたが、著名な方のSNSでは信じられないくらい辛辣なコメントを見かけることがあります。会ったこともない顔の見えないたくさんの人から否定されると本人にはどれだけの負荷がかかるのでしょうか。。
偽善なのかもしれませんが、せっかくならショッキングな出来事ではなく、平凡でもくだらなくてもいいから、クスリと笑ってしまうようなニュースで世の中をいっぱいにしたいです。ネガティブなニュースに対抗したい。少しでもそうなるよう、今日もIKIRU.を更新します。
皆さんからのグッドニュースも待っています!
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